みなさんこんにちは。信州パン奉行(プロフィールは こちら)でございます。m(_ _”m)
御嶽海ファンとして、やはりどうしても言いたい思い、きっと多くのファンが心に抱いている思い、今回はこれを訴えさせていただこうと思います。
強かったころの再来を望むファンの一人として、本人に届くことを願います。
ここ数年のもどかしい思い
御嶽海関の相撲を見続けてきて、どうしても感じてしまうことがあります。
それは、圧倒的な強さを見せる一番がある一方で、どこか本来の力を出し切れていないように見える日が目立つ、ということです。
立ち合いの出足が鈍く感じられる一番では、
「あの御嶽海関なら、こんなはずではない」
と、思わず感じてしまう瞬間があります。
もちろん、土俵の上に立つということがどれほど過酷なことか、私たちが本当の意味で理解することはできません。
怪我や体調、見えないところでの疲労やプレッシャー——
さまざまな要素が重なって、一つの取り組みがあるのだと思います。
それでも。
ファンとして、どうしても感じてしまうのです。
「もっとできるはずだ」と。
なぜそう思うのかといえば、私たちはすでに、その姿を何度も見てきたからです。
力強い立ち合いから一気に前に出て、相手を圧倒する相撲。
迷いのない攻めで、観ている側の心まで熱くする一番。
あの相撲を知っているからこそ、
本来の姿とのギャップに、もどかしさを覚えてしまいます。

非常に残念だった取り口
とりわけ印象に残っているのは、2026年春場所、勝ち越しを決めた直後の千秋楽、一山本関との一番です。
この場所は前半で5連敗し、心配しておりました。
しかし後半は尻上がりに調子を上げ、全盛期に近い動きを取り戻しており、14日目に8勝目を挙げて久々の勝ち越し決定!
そして最後の締めの千秋楽、9勝で終えて有終の美を飾ってほしいと願いながら、観戦していたところ...、なんとまったく覇気を書いたような、がっかりした内容。
ほぼ抵抗なく、あっさりと土俵を割ってしまったのでした。

勝ち越しが決まってほっとした気持ちがあったのか、それとも別の理由があったのかは分かりません。
しかし、どこか勢いを欠いたように見える内容に、正直、胸が締めつけられるような思いがしました。
ファンの期待を大切にしてほしい
ファンとしては、勝った・負けたという結果以上に、一番一番のの “中身” が、気になってしまうのです。
角界デビュー当時、長野県民の期待を一身に受けながら淡竹の勢いで上っていたころの御嶽海の相撲を思い出します。上位陣に詰め寄るように向かっていた姿に、どれだけの県民が勇気づけられたことか。
だからこそ、願っています。
たとえ万全の状態でなかったとしても、たとえ思うように体が動かない日があったとしても、
それでもなお、前を向いて土俵に立つ姿を見せてほしい。
一歩目からぶつかっていく気持ち。最後まで諦めずに押し切ろうとする意志。
その姿勢こそが、観ている私たちの心を動かすのだと思います。
厳しくも暖かく見守りましょう
御嶽海関は、ただ強いだけの力士ではありません。
人としての温かさや、親しみやすさ、そして時に見せる不器用さも含めて、多くの人に愛されている存在です。
だからこそ——
その魅力を、土俵の上でも、もう一度見せてほしいのです。
完璧である必要はありません。すべての一番で勝つ必要もありません。
ただ、その一番一番に、「やり切った」と思える相撲を見せてほしい。
それがきっと、結果にもつながると信じています。
同じような思いを抱いているファンの方も、きっと少なくないのではないでしょうか。
私たちは、厳しい目で見ているのではなく、信じているからこそ、期待しているのです。
御嶽海関の本来の相撲を、もう一度、土俵の上で。
これからも変わらず、応援し続けます。


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